ムコさん立腹、嫁大ヘコミ

2007年06月28日



51 名前:通交人:1912(大正1)/12/3(火)
久米通り電鉄軌道、新工事中の通路は後始末が悪いので、この一両日の雨天にはとても歩かれない。ホンの形ばかり土を徹してあるけども何にもならない。軌道会社において是非何とかしてくれなければ困る。

52 名前:順風平生:1912(大正1)/12/3(火)
看護婦上がりの若い女、しかも婚礼前であるのに芝居生、帽子職工とかの胤(たね)をやどし、三世相(*)のために言いあてられ、ついに事実を白状したと言うので婿方では大立腹、こちらでは大へこみにへこんでいるそうだ。この顛末を調べ新聞に出したらさぞ面白いことでしょう。

三世相(さんじんそう)…沖縄で占いを職業とする易者。いわばユタの男性版。

53 名前:実見生:1912(大正1)/12/11(水)
何れの中等学校においても酒と煙草は禁物と思うが、近頃中学生が該校の取締り不充分か、さもなくば堕落のゆえか?制服制帽の学校帰り脇道を通って喫煙するものがあり、または図書館内で小説を愛読するものを見受くるから、学校もよろしく注意ありたし。

54 名前:見聞生:1912(大正1)/12/11(水)
>>50
近日、辻の無鑑狩りもわるくないが、このほかにも無鑑札・無免許でもくっておるのは代書人仲間にたくさんおるそうであります。なかには免許代書人より無免許の者がいばって平気で裁判所に出入しておるそうであります。裁判所の扣(ひかえ)所に入りて見たら4、5名は検挙されるだろうとは、ある人の話。


大正時代のニート

2007年06月27日



49 名前:一遊民:1912(大正1)/11/29(金)
私は目下、職業がなく遊んでおりますが、読者諸君の中で裁判所書記の試験や小学校の検定試験の期日ご存じの方は本欄までご教示願い上げます。

50 名前:小男生:1912(大正1)/11/29(金)
数日前、那覇警察が無鑑征伐(*)を行うたのは実に痛快でありました。何も遊郭がいじめられて喜ぶ私は決してひじ鉄を喰らわされた返報と言うわけでもないが、実際沖縄で数ある横着の奴らのうち、辻の女郎ども及び車夫どもなど癪(しゃく)にさわるのも多くはあるまい。

どうか今後も相変わらず田尻署長の沈着英断の処置と久場監督の敏腕とを振るって社会風教のため充分なるお取締りありたし。

*無鑑征伐… 無鑑札(無許可)の遊郭に対する一斉捜索。


【参考】『琉球新報』大正元年11月17日
○那覇署の無鑑狩
△近頃の大活動 △一夜で五十名

辻遊郭においては芸酌婦のほか、無鑑札のまま同居し密淫売をなしおるもの多数ありて、これらが他に花柳病(*)を媒介するはもっともはなはだしく、実際、芸酌婦の身体検査は行うともこれら無鑑を一掃せざる間、何の効力をも有せざる有様なるが、田尻署長は常にこの弊害を一掃せんと胸中何ごとか計画を講じつつある際、一昨夜より昨朝にかけその手始めとしてまず廓内無鑑の大征伐を行い、一夜のうちに50余名の無鑑札を発見しことごとく引致し来たりて、昨日の那覇署は終日これが取調べに多忙をきわめたり。

*花柳病… 性病。

解説:ニート君はいつの時代にもいるみたいですね。でも>>49を見ると、この時代はいくぶんお気楽なような感じがします。>>50の無鑑征伐は今で言えば新宿歌舞伎町の無許可風俗店への一斉捜索のようなものでしょうか。


不合格に残念がる理由

2007年06月26日



47 名前:春花生:1912(大正1)/11/25(月)
目下、新兵入営につき市中ははなはだ騒がしくなってきた。盛装せる田舎人や、つきそいて来た若い婦人連をもって市中揃っている。ことに儲かるのは芝居と娼妓屋、そば屋または理髪屋なんかも割合に多いようだ。

ことに辻だ。僕も昨晩ちょっと歩いてみたが、あちこちで送別の宴を張りて舞子を上げて騒いでいるさま、実に面白いと考えると僕は実に残念だ。

僕も今度の検査に合格すれば、今頃は送別会もされるし可愛い文子さんに涙の一滴も落とさすことができよったが、惜しいことには不合格の宣告を与えられた、ああ残念!もうこうなれば仕方がない、諸君の入営を祝するほかない次第です。

48 名前:衛生小僧:1912(大正1)/11/25(月)
東新市場には依然とし肥料船を横付けしているから、群集が臭気を嗅いでこぼしている。市の中を肥桶を運ばしているから間には豆腐などにひっかかることもないと限らぬ。衛生上何とか方法をつけてください。


不埒な教育活動

2007年06月24日



45 名前:矯風帽子職工:1912(大正1)/11/16(土)
11日夜、久茂地尋常小学校へ教育活動写真を見に行った。ところが来会者の中につき、暗いのを好機会として数多(あまた)の若い男女が立って左右に押し合い女子の後方に男子が立ち、中には女の肩に手をかけて呆然と立っているのもある。また人が懐に手を入れたと言う女もあった。

私の思うところには、活動写真とか教育幻灯とかで夜催すときに保護者は女子部では女、男子部では男を入場させるようにしたい。しかし女子を持つ家庭で女が保護者として行き得ぬ所があるかしらぬにつき、何かよき方法を考えるか、あるいは男女別々に席を設けるかしたら立派なことになると思う。

左様せぬとせっかくの教育がかえって密通の媒介になるようになるから、当局の反省をうながす。

46 名前:杞憂生:1912(大正1)/11/17(日)
>>45
前号、矯風帽子職工の注意のごとく、幻灯会のような夜中真っ暗がりの中で男女を相手の興行はよほど警戒を要すべきことと思う。

さらぬだに、若き男と女との間じゃ遠くて近き習い、双方引き離さそうしても自然と接近したがると言うのが普通の人情であるから、幻灯会のごとき、ことに教育と言う金看板付きの美名の下に彼ら男女を会合するに当たり、よくその席別を正し双方の取締を厳重にするようにしなければ、彼ら男女は堂々たる立派な理由の下に公然と接近して、しかして不立派なる所業を遂ぐる機会を作らしむるようにもなることは極めて見やすき道理であるのみならず、すでに先日久茂地の興行における事例は何よりの証拠であるまいか。

この故にいやしくも教育の名を冠する以上は、会主においてこれら隠微の間に起こるべき弊害を察し、これを防ぐに足るだけの設備をなすのが当然の責務であろうと考える。まず差し当たり男女の席を区別するということが最も必要なるものであると思う。

しかして観客の方において男子は格別として年頃の女一人を出しっ放しにせず、必ず相当の付き添い人を同行せしむるのが安全の方法ではあるまいか。さもなければせっかくの幻灯会もついに利害転倒の悪結果を見るにいたるであろう。

矯風帽子職工の説を賛して一言を費やす。



バタクサイ君の主張

2007年06月23日



44 名前:バタクサイ生:1912(大正1)/11/16(土)
>>43

食道楽君のビリケンの解釈は違っている。ビリケンとは福の神の意味で、寺内総督にビリケンの名を呈したのは、かつてある新聞が七福神の似顔を募った時、総督の三角頭が七福神の一つに及第したことがあるから、ビリケンのアダ名もけだしこれに出たのであろう。

洋食屋の美理軒、なるほど語呂はよくないが、来るお客様を福の神に見立てたものとすれば語呂ぐらいは我慢ができる。アテ字の美は美味の美、理は料理の理とみればいずれにしても結構じゃないか。僕は主人のために原案維持説を主張する。


メリケンかビリケンか

2007年06月22日



43 名前:食道楽生:1912(大正1)/11/15(金)
饒平名(よへな)病院の隣り、西洋料理店の「美理軒」は開業以来、流行るそうだが無理もない話で、第一、料理が安いうえに配膳も早いときているから繁昌するはずだ。

少し贅沢をいえば今少し客間をふやしたらモッと客がふえるだろうと思われるが、しかし開業早々のことであるから、左様一時に何もかも理想通りにはいくまい。

それに今一つ言うべきは「美理軒」と言う名である。これはご主人が多年、亜米利加(アメリカ)に在りて料理法を研究したと言うことにちなみて「メリケン」と読ますつもりで命名(なづけ)たろうが、しかし日本音ではかの3文字は「ビリケン」としか読めない。

なるほど支那音ではあるいは「メリケン」と読むかもしらないが日本ではドウしても「ビリケン」としか読めない。「ビリケン」と言えば非立憲的・武断主義・非文明式をもって有名なる寺内伯のアダ名ではないか(*)。ドウも文明式料理店の名称としてはあまり面白くない名である。

「ビリケン」と言えばその語呂からしてビリビリ怒りだしそうで、聞いたばかりで嫌で嫌で縁起の悪いことおびただしい。イヤ「美理軒」は「メリケン」でござる、「ビリケン」ではござらぬとイクラ鹿爪らしく(*)弁解したところで世間の人はそうは呼んでくれないから仕方がない。

そういうわけだから「美理軒」をイッソ仮名入りで「めり軒」とした方が意味もよく評するし、また一風変わってよかろうと思うがドウでしょう。名護君、早速改称・披露し、花花しく出たら今よりは2倍も3倍も繁昌するに極まってますゼ。

鹿爪(しかつめ)らしく… もっともらしく。
ビリケン… 寺内正毅(1852~1919)。明治・大正期の政治家・軍人。桂・西園寺内閣などで陸相を務め、1910年に初代朝鮮総督、1916年に寺内内閣を組織。彼の頭がビリケン人形に似ていたことから、これに「非立憲(ひりっけん)」をひっかけ「ビリケン」と呼ばれた。

解説:大きなお世話ですね。


ノゾキにご注意、よし子さん

2007年06月21日



42 名前:浪村:1912(大正1)/11/8(金)
ある朝、戸をあけると隣のよし子さんが寝巻き姿で顔を洗っている。私は2枚目の戸に手をかけてしばらく見ていると、洗面を終えてほつれ毛を掻き上げながら顔をあげた。

そのとき、よし子さんと私との視線が合った。よし子さんはぽっと紅くなって横に向いた。私も手早く戸をあけて内に入った。

そしてちょっと障子の破れ目から見るとよし子さんはそっとこちらをうかがっている。

乳房はプックリと、肩はすらりとして生え際の美しい涼しい眼を持っているので、いつ見ても美しい女である。


ヒゲ道一直線

2007年06月20日



41 名前:青レンズ:1912(大正1)/11/8(金)
ヒゲ(髯)は老成を意味す、成功を意味す。しかして停留かあるいは後退を意味す。活動は無ヒゲなり、向上は無ヒゲなり。ヒゲなき人はヒゲを蓄うるべく働き、ヒゲある人はヒゲなき時代よりヒゲある時代に一歩を進みたる人なり。

滔々(*)たる蓄髯(*)の流行。余、一昨年はじめてヒゲ蓄えてより、その存在をやや認められるるあるは、ようやく今日なり。しかも蓄えられたヒゲの存在より、蓄えたる余の存在のウヤムヤなる。

常に鏡に対してヒゲを眺むる。たびたびに慚愧(*)の汗、頭に滴(したた)るること覚ゆ。けだし老成・成功を意味するとのを成功せざる者に対照したるが故たらずんばあらず。

すなわち、かつ然(*)として大悟し、大正元年11月5日、余はここに2年越しの美ヒゲを断る。喝


滔々(とうとう)… 物事が一つの方向へよどみなく流れ向かうさま。
蓄髯(ちくしゅう)… ヒゲをたくわえる。
慚愧(ざんき)… 自分の見苦しさや過ちを反省して、心に深く恥じること。
かつ然… 心の迷いや疑いが消えるさま。

解説>>41はヒゲ道一直線の方の投稿。彼はヒゲに似合う生き方をしていないと大マジメに悩み、ついにヒゲを剃ってしまいます。これほどまでにヒゲに人生の「道」を見出しているとは。


編集部の中の人、登場

2007年06月19日



37 名前:静鶴記す:1912(大正1)/10/30(水)
先日の本紙読者倶楽部に○○○小路のいたずらな子供のことが書いてあった(>>23)。近頃は新聞紙上に悪いことがのっていないで自分はすこぶる喜んでいる。

折りしも悲しむべきことが起こった。

それはいたずら!イヤ、少々のいたずらは子供のことだから堪忍もしてやるが、少々どころでない。

一体どんなことをするかと言うに、第一、小泥棒だ。先日、自分が縁に出て本を読んでいると、突然ヤッテ来て地図を持ちて逃げようとするので、取られてなるものかと飛び下りて腕をぐっと握ってやったら泣き出した。自分は注意を与えて許してやった。本日もまた来て鉛筆か何かを持って行こうとしたので取っつかまえて、1ッ2ッなぐってやったら大きな石を投げて逃げてしまった。

マー右の様なことだ。心当たりの親々は注意ありたし。

38 名前:衛生小僧:1912(大正1)/11/1(金)
むやみに塵芥(ちりあくた)を街道にほうり出して、公衆の迷惑を顧みない奴が上の倉比屋定○○小路に棲むでチト気を付け。

39 名前:首里当蔵○○○○美里商店:1912(大正1)/11/1(金)
昨日、私の店に反布1反置き忘れし御方はござりませぬか。反布は保存してありますから御本人受け取りに来てください。

40 名前:(読者倶楽部)係り◆:1912(大正1)/11/5(火)
水産学校「二生徒」と言う匿名者が校長にお願いの件は、直接校長にお願いにはせずしてわざわざ新聞紙上に投書するなんて不謹慎である。

解説>>37は大正時代のヤナワラバー(悪童)の話ですね。たくましい。>>40は新報編集部の係が登場です。いわば掲示板でいう管理人。水産学校の生徒の投書はボツになってしまい、さらに係から怒られてしまいました。


難をのがれた呉服屋

2007年06月18日



35 名前:目撃生:1912(大正1)/10/26(土)
呉服屋の前に近所の人らしき少女が遊び居たので、店先にある友仙染の縮緬(ちりめん)の30匹ばかり程あるを見て、いかにも欲しそうに見ているのを呉服屋の番頭がたわむれに、

「嬢ちゃん、その縮緬を残らず一人で持ち帰るならみんなあなたにあげますよ」

と言いしに、少女はさらばと言いながらただちに1匹の縮緬を解きて長く広げ、その上に残らず載せてズルズル出したので番頭は大いに驚き、そのことを主人公に語りければ、主人公大いにあやまり閉口して頭を畳に付けてようやくその難をのがれたることは、芝居の狂言にでも出してみたいもんだ。

36 名前:越山生:1912(大正1)/10/26(土)
私は伯剌西爾(ブラジル)に出稼ぎに行きたいですが、募集はいつ頃あってそして何月頃に行きますか。

また同地移民心得

〔(イ)同地着くまでの総費用、(ロ)出発の手続き及びそれに要する日数、(ハ)携帯品その他〕

及び同地移民の模様

〔(イ)仕事、(ロ)貰い賃、(ハ)日常の食費、(ニ)沖縄人及び日本人移民の数、(ホ)正味利益金などその他〕

のことはご承知のお方は何とぞご教示あられんことを願いたてまつります。


猛犬と壮絶バトル

2007年06月17日



32 名前:犬狩生:1912(大正1)/10/23(水)
過日、裁判所の前で14、5くらいの子供が悲鳴をあげて3匹の犬に追っかけられて、刹那、通りかかった僕はコハ一大事と駆けつけ、幸い携帯しステッキで犬の背中を目がけて打ちすえたから、さすがの猛犬も少しは躊躇(ちゅうちょ)するかと思いのほか、揃いも揃った3匹の猛犬、牙を喰いしばって猛進し来る奴を、それ畜生サア来いとステッキを振り上げて片っ端からポカポカ喰らわしたので3匹とも逃げてしまった。

聞けば猛犬は3匹ともこの近所のもの。アンナ犬は犬そのものの本職たる夜間泥棒の守備は忘却して、いたずらに通行人に妨害を及ぼすにすぎないから容赦なく殺した方が主人のため社会のためであろう。

33 名前:玉波子:1912(大正1)/10/23(水)
春林君!君は八重山の生まれであって、ある事業に成功するために恋しい故里(ふるさと)をはなれて那覇に来た!それで成功しに来たにもかかわらず色街に多額の金銭を投じて勉強しておるとはつまらんじゃないか・・・・・・君!方針をかえて勉強したまえ。

34 名前:一生徒:1912(大正1)/10/23(水)
第一中学校長へお願い申し上げます。何とぞ近いうちに旅行をやってください。旅行のことは生徒間に以前から噂せられておりました。

日頃は勉強する代わりに時としては旅行などをして心を快活にし、また一方には心身の鍛錬ともなるのであります。ことにこの頃は秋天高く馬肥ゆの時節で、旅行するにも余程よい時だろうと思われます。


解説:ステッキで3匹の猛犬と闘う大のオトナ、超かっこいいです。ペンネームも「犬狩生」、ネーミングのセンスにしびれます。でも「主人のため、社会のため容赦なく殺せ」なんて書けば、今なら動物愛護団体から猛抗議でしょうね。


またもや妙な男よりの通信

2007年06月16日



31 名前:在本部妙な男:1912(大正1)/10/19(土)

またもや妙な男よりの通信(編集部注):

13日朝8時
いたずらも程がある。昨日来た新聞に「妙な男よりの通信」とは一体何だ、新聞材料がなければオイ何かないかと言えばいくらでも提供する■、まァおかしいことぢゃ、兄キ、いたずらなど以後およしなさいよ。

それから悪筆の御手紙は確かに読んだ。少なくとも7、8回はひろげた。美しい山の神は傍から「あなたの友人にこんなに下手な字書く人があって?」と言うから「ウン、字どころでない。この人は顔からそもそもなっちょらん」と言ってやった。

兄キしかし懐かしいな、翼があれば飛んで行きたい気が起こる。今日は日曜日だ。兄キなどはどうせ白川夜舟(*)の真っ最中だろう、もう9時だから。僕はこれから渡久地という本部の大都会へ行きます。兄キこの手紙が着いたら早速何とか返事をよこしてください。懐かしくてたまらないから、僕も2日に1回は必ず手紙をあげます。終わりに八幡小僧、加那チー小(ぐゎぁ)、南陽館の寂しき人諸君によろしく。

なおなお兄キ、私の眼鏡が破壊(われ)て困っていますから御奮発を願う。

白川夜舟 …熟睡していて何も知らないこと。何も気がつかないほどよく寝入っているさま。

解説:妙な男より再び通信。前回、新聞記事として掲載されたことに少々ご立腹の様子です。彼は本部に住んでいることが判明。こんな弟分がいて「兄キ」も大変そうです。妙な男、最後にはちゃっかり金を無心しています。


妙な男へのファンレター

2007年06月15日



30 名前:台湾芋波生:1912(大正1)/10/14(月)
芋助先生、過日の紙上、妙な男よりの通信文、実に実に興味深い書き振りです。私は読み返し読み返して何度読んだか限りはわかりません。もっと通信ありましたら読々記載してほしい。



夕暮れ時の那覇港にて

2007年06月13日



29 名前:泊生:1912(大正1)/10/12(土)
那覇港の口を扼(やく)している(*)三重城に行ってみると、風・雨ふたつを除いては何の日も必ず崖下の珊瑚礁の上に魚釣りがいる。「まさか」太公望の稽古でもあるまいが、その熱心ときては素人の魚釣り中、一頭地を抜くの概がある。

日曜日に行ってもやはりやっているではないか。今頃魚が餌をつつくよと面白がって立ち止まっていると、その辺に遊んでいる子供が何気なしに手心の石を拾っていたが、5人とも互いにしめし合わせたように代わる代わる釣りをする所に石を投げた。そうすると釣夫が非常に怒り出した。それでもやはり投げている。実にいたずらなことをするものだと黙って見ていると、釣夫さん今は堪忍袋の緒が切れたと見え、立ち上がって追わんとすると、子供らは一散に後方へ逃げてしまった。

しばらくすると夕陽は馬歯山(慶良間諸島)にかくれ、崎原の岬の灯明台が明かり始めたので、帰路につくと子供らは広場で遊んでいる。その中、ひとりの子供が、かの魚釣りは毎日のようにここにやって来るがいつも女ばかりに眼をつけているよ、と言った。子供心でそう言うからは何か仔細がありそうなものであると思った。

行く行く晩景を眺むると市中は何だか忙しそうに見受けられるるのであった。石門交番所の前も過ぎ、前の毛(もう)を通りて後道(くしみち)に入ると、門口には客待ち顔の美的もいればお多福面もいる。また中前には頬杖をついて思案にくれているものもおれば、衣類のほころびを縫うているのもある。実に種々様々ではないか。

ここも通り抜けて鳥居の前に来ると3ヶ、5ヶ列をなして波上(なんみん)を指して行くのである。我もまたその人となり一歩一歩と進んで行くと右手の一軒家ではちょうど「ガーヌー」の真っ最中であったが、波之上も昨日今日の涼気(すずしげ)に人出が少なくなったようだ。しかし見晴らしは何日■ても違いはないが、秋になると何だか空が高くなったような気持ちがするので、「ああ偉大なるかなこの天地」と言いたかった。あまり長居も無用であるから3銭の高等官となり、帰宅したのは7時過ぎであった。

扼(やく)している… おさえている。


「ミヤクス」さんの反論

2007年06月11日



28 名前:宮城生:1912(大正1)/10/10(木)
さる7日の読者倶楽部欄の萩堂生なる人の名詞についての所感(>>26)を読んでみた。なるほど姓を読み変えて用いるなどは面白くない、滑稽なところも随分あるが、しかしこれがやむをえざる場合もある。吾輩また宮城の姓をおかしているからここに一言述べてみよう。

先年、吾輩が東都(東京)に行った。ある日のこと知人から電報為替が来た。しかし宛名の「ミヤグスク」としてあるのでただは渡してくれないと言うから、その宛名の人は確かに吾輩「ミヤギ」に相違ないことをしたためて捺印したうえ、郵便局長宛てに届け出たことがあった。もしいつでも「ミヤグスク」と言う宛名が来るとしたなら、そのつど局長宛てに届け出ねばならぬことになって、はなはだ面倒なのである。

また友人を訪ねる時に取り次ぎの下女の「お名前は」と聞く。「ミヤグスク」と言ってやると2、3度目にようやく聞き取り、それでも取り次ぐまでに忘れはせぬかとの懸念からでもあろうが、果たせるかな「ミヤクス」さんがいらっしゃいました、とぬかしたそうである。こういうことはたびたび耳にする例である。こんな不便なこともあるから、吾輩これまでとても常に「ミヤギ」で通っている。また何のはばかるところがあろう。

こういう筆法で推して山城(やまぐすく)を「ヤマシロ」、玉城(たまぐすく)を「タマキ」、兼城(かねぐすく)を「ケンジョウ」と称呼しても耳ざわりでも何でもない。しかし親泊(おやどまり)を「シンハク」、久手堅(くでけん)を「クデカタ」とするにいたっては安里(あさと)を「ヤスザト」、野原(のばる)を「ノハラ」、久高(くだか)を「ヒサタカ」とてらうのと同じことではないか。

また萩堂生は一例として公園における宮里と小橋川との初対面の場合を挙げているが、「私は小橋川(コハシカワ)と言うものです」と応えたのはいささかの不都合もないばかりか、これも当然である。

もし相手が他県人ときて私は小橋川(クヮシヂャ)です、あるいはまた喜友名(チュンナー)、真喜屋(マーヂャ)、牧港(マチナト)、喜瀬(キジ)などと答えた日には彼らにはどんなに異様に聞こゆるであろう。よろしくキユナ、マキヤ、マキミナト、キセなどと称呼するのが穏当であると思う。いたずらに無学の古老の口吻をまねては一層滑稽ではなろう。呵々(*)。

呵々(かか)…笑う声。今でいえば(笑)というぐらいの意味でしょう。


帽子で迷惑、大問題

2007年06月10日



27 名前:■■生:1912(大正1)/10/9(水)
あえて世論に訴う:
近来、非常に帽子会社が繁昌して立働き県の生計上には多大の利益と思うておりますが、しかしながら一利一害と言いましょうか、つい2、3日前のことであります、区内字泊東門の○○○と言うところに分工場がありますが、男女合併で居るので年頃24、5の男職工と19ぐらいの女職工と互いに情を通じ、つい近隣の大問題となっております。

こう申し上げたらあるいは失敬かもしれませぬが、会社を廃するというわけにはもちろんいきませぬから、男女を区分していただきたきものであります。今の通りなら自然主義が流行するものは眼前であります。

今ひとつは製帽時間の制限があってほしいものです。現は夜半どころではない、午前2時3時までもワーワー騒いで野卑な歌をしたりして非常に近所の迷惑でございます。それ担当取締り方をその筋に促されんことを望む。

解説:帽子会社とはパナマ帽子の製造会社のこと。パナマ帽子はアダン葉を原料にしたもので、大正・昭和期の沖縄で製造業が発展、沖縄県の特産品となっていました。


滑稽な沖縄の名前

2007年06月09日



26 名前:萩堂生:1912(大正1)/10/7(月)
名詞について:
名詞は固有のものを用いないと何の役に立たないことになっている。ことに歴史や地理などになると勝手に名詞を変えると全く物にならぬのである。すべて苗字は土地の名称であるから、これをいい加減に読みつけると意味をなさないのである。これは沖縄人が他府県にでも行くとやたら名詞をば自分勝手に読み変える癖があるのが、ここにいたって滑稽となるではないか。

その一例を挙ぐればこうである。久手堅(くでけん)を「クデカタ」、金城(かなぐすく)を「キンジョウ」、親泊(おやどまり)を「シンハク」、大工廻(でくじゃく)を「ダイコマワリ」、小橋川(こばしじゃ)を「コハシカワ」、兼城(かねぐすく)を「ケンジョウ」、宮城(みやぐすく)を「ミヤキ」、真栄城(まえぐすく)を「マエキ」、玉城(たまぐすく)を「タマキ」、屋部(やぶ)を「ヤベ」、砂川(うるか)を「スナガワ」、勢理客(ぜっちゃく)を「セイリキャク」、保栄茂(べん)を「ホエモ」と称呼しているではないか。

それについてある日、公園で滑稽を演じたことがあった。というのが初対面の人が挨拶をしているのをそばから見ていると、甲の人は「私は西の宮里である」と名乗ると、乙は「私は泉崎の小橋川(こはしかわ)である」と名乗る。そうすると宮里さんが眼を丸くして首をひねり、「そうするとあなたは他府県のお方でありますか」と尋ねると、「そうではない。本県のものである」と答えた。

すると宮里さん、ホロ酔い加減になっていて冷やかすつもりであったのか否やは知らないが「本県に“コハシカワ”―そんな苗字はないはずであるが」と突っ込むと、小橋川さん怒りだし「人を馬鹿にするのも程がある」とアワヤ大立ちまわりを演ぜんとするのであったが、仲裁によって事なきを得たのは幸いであるが、これは名詞を自分勝手に読みつけた結果に決着するのであるから、注意すべきであろうと思う。

とくに久手堅(クテケン)・親泊(シンハク)・保栄茂(ホエモ)などになると、ことさら滑稽ではないか。



お金が来ない

2007年06月07日



25 名前:小学校教員:1912(大正1)/10/1(火)
小生は中頭郡のある尋常高等小学校に昨年奉職したる尋常科担任の一訓導で、県令の定むるところにより特別加俸を受ける資格ある者であります。

そこで昨年4月に学級編成表を添え、法令の規定せる手続きを校長からしてもらったのであります。ところが前期の支給期9月になって来ませんので、あるいは郡役所らが手続きの進達を遅れはしなかったかと、また手続きをして今年の3月まで待っていました。

そこで今度は誤りなかろうと思っていましたらまたまた来ませぬ。今度は不思議でならんのでしっかり県令を調べて今までの手続きは一向誤りがないので、4月の始めにまたも手続きをなし都合3度の手続きを発したのであります。

しかるに9月になってまたも来ませぬ。特別加俸は県令の定むるところにより小生は確かに受ける権利があるのであります。金額はいたって小金なりといえ、我々薄給の小学校教員にとってはたいした金であります。決して笑い事ではありませぬ。一体どういうわけでしょうか。あまり不思議でありますから他の教員諸君の御意見を伺います。


追伸:葉水君へ!!葉水君!

2007年06月05日



24 名前:玉波子:1912(大正1)/9/15(日)
玉治(続)
白い寝台から新吉は仰向けになったまま笑一の顔をジット見つめた。男気のある眼はくぼんで落ちている・・・・・・室の中の暖かさで窓ガラスはシットリとして湿(うるお)っている・・・・・・小さい星が一つ淋しそうに輝いておるし、やがて新吉は静かにおもむろに唇を動かしたか、声は聞き取ることが出来なかった。盲(めくら)の笑一爺はあわて手触れに言った。

「新吉や、父ちゃんが此処におるからね。心配なぞいらんよね。しかし新吉、御飯はどうだ。もう一時だよ」

新吉は彼の慈悲ある言葉は聞取る事は出来たが、何とも答えそうにもない。彼は溜息をすると後が苦しくなって急に吸息をした!暗い空を見ると彼は何より妹の治子の事が思われるように見えたが、やがてカイゼル形の髭をなでながら医者が診察にやってきたる。

「爺さん、おそうなりてるから御休みなさい。看護の者をやりますから」

立ち止まったまま言った!

「アア、お医者様。なに一日や二日休まなかったって御丈夫です。サア早く診て下さい」

と手触れに言った。医者は不安の顔で新吉は無言で診察を終えて第五室に行った。

「笑一爺は靴の音に驚いて」

「新吉や、マア気分はどうだ」

また手触れに言った!しばし新吉は何も言わなかった。

「僕、父ちゃん大丈夫!心配はいりません!」

この言葉を最後にあわれな笑一爺を見捨て黄泉(よみ)の客となった。

▲読者諸兄に。玉波の処女作ですが、みな記載を得たら御批評を願い枡(ます)。

葉水君へ!!葉水君!君の社会観は僕はどうも不満なんだ、君は実際かねて言う通り病的だろう。ひとつ奮発して倶楽部欄を賑やかしたまえ。


解説:小説はともかく、作者が最後に書いた追伸はいったい何なんでしょう…


物知りのウンチク

2007年06月04日



22 名前:物識り生:1912(大正1)/9/11(水)
およそ大行天皇と称したてまつるは、御追号の定まらざる以前に称したてまつるべき尊称なるに、すでに明治天皇の御追号定まりたる今日において、なお公然、大行天皇の御尊号を使用する者あり。礼に違えるものといわざるべからず。

23 名前:宮古生:1912(大正1)/9/11(水)
近頃那覇で一番蛮的視されているのが区内○○○小路である。なぜならば小学校の生徒が友達同志二組に分れて毎夜喧嘩をしているとのことだが、これは社会風教上注意せねばならぬことと思われる。

○○○小路辺の子供らにかぎってキットこのような悪いことをたびたびやっているが、それについてよく聞いてみると、何でも高等科生の年上の者が大将になってその年下の尋常科生の者へ対して誰と喧嘩せよと命令するそうで、もしもこの命令を聞かなかった時には一向遊ばせんとか言うているそうだ。それで年下の尋常科生はやむをえず喧嘩するそうである。実に言語道断なことではないか。

○○○小路の子供らの父兄方に各自の児童取締りをやってもらいたい。そして右様悪い友、年上の高等科生なら先生で強く罰をやってもらいたい。

解説:水木しげるの自伝にもありましたが、時代の風潮を反映してか、戦前の子供たちは戦争ごっこをさかんにしていたようです。そういえば、ガキ大将なんてもういなくなりましたね。